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平成の30年間で変わったもの

平成は楽しかった?
令和元年が終わる。と言うよりも、平成の三十年が終わると言って良いだろう。

昭和の64年、明治の44年に次ぐ、長かった元号期間となる。

勿論、これは明治維新で、一世一元の制が制定されたからであるので、近代以降の話である。

Anyway、平成元年から令和元年にかけて何が変わったかと言えば色々変わっています。

携帯からスマホ、高校生が選挙権、体罰、いじめ・・・色々な解説本をお読み下さい。

今年最後のネタとして取り上げたいのは、女性の社会進出についてです。

え、なんかありきたりじゃん?    

つまんね~!・・・

昭和の最後から平成の頭にかけて、女子高生の大学進学先と言えば、短大、文学部、家政学部・・・要するに花嫁修業学部だったのです。

勿論そうじゃない人もいました。

高知大学卒業してから厚労省の事務次官になった人、村木厚子
外務省のキャリア外交官から皇后になったった人、小和田雅子
こんなレアケースを上げなくても、一流大学から一流企業へ総合職として入社した人は昭和40年代~63年までと平成の30年間では桁が1桁、2桁違うでしょう。

女の子なんだから勉強なんかしなくても、いい結婚をするのが女の幸せ。

という価値観が消滅したのが平成の30年でした。

今、女子高生は自分が稼げるようにならなければいけないと真剣に考えています。

進学希望先も法・経・商といった社会科学系学部、理系なら医・薬や放射線技師・看護師等手に職をつける学部が圧倒的です。

この30年で女性が逞しくなって良かった、良かった、と考えてるあなた❕

何も解ってないね!

女性は逞しくなりたかったんじゃない、逞しくならなければ生きていけなくなったんですよ。

何でかって?

お前が「あほ・ボケ・カス」だからだよ~!

もはや、2,3年腰掛OLして、永久就職なんて言うのは、場末の演芸場の売れない芸人のコントにもならないネタですわ。

男が余りにも軟弱すぎるんですよ。


不況もありました。

リーマンショックもありました。
リーマン破綻


山一の社長が大泣きしました。


要するに、企業に頼っての人生設計が制度疲労を起こして、今の日本社会の実情に適合しないんですよ。

男だけのせいじゃないんだろうけど。

ただ、男達が鈍感です。

そして、女の全部が敏感に逞しくなろうとした訳じゃない、ということも付け加えておきましょう。
男に媚びる女A
男に媚びる女B


いずれにしても、社会の高齢化と男の無能ぶりが進む以上、優秀な女性を社会有用な戦力として活用するしかないのです。無能な男

このことは平成の10年位までに皆意識し始めたと思います。

変わらなかったのは社会制度や、企業のカルチャーです。

女性が家庭の幸せを犠牲にしなくても働けるシステムがこの30年間全く創られようともされなかったし、起動したこともない。

無能上司
家事、育児、介護は女の仕事だという無意識或いは意識的な価値観が今の50代以上の無能の管理職の頭の中にこびりついているのです。

34歳の女性首相、
フィンランド首相
まあ、日本では令和の間でも無理でしょう。

小池百合子が出来るのはせいぜい都知事レベルで、総理総裁を狙ってた聞くと、何故、もっと優秀な女性が閣僚に成れないんだろうと思ってしまいます。小池百合子


今の女子高校1.2年生もっと勉強して隣の腑抜けた男を将来こき使うことを想定して勉強しましょう。鈴木保奈美


3年生の皆さんは悔いの無い受験を❕
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IT技術は本当に人間の暮らしを豊かにしているのか?

タブレット教育
学校はタブレット端末導入がブームである。

導入しない学校はカス!の様に言われる。

話は卑近になるが自分もiPadを使っている。

当初の目的は電子書籍用だった。

仕事柄膨大な本を読むのだが、書斎に収納仕切れない段階になって、1万冊近い本を業者に頼んでPDF化し、ドロップボックスに入れて、ipadで読めるようにした。

その上で、以後の書籍の購入は原則電子書籍にしたのだが。

元々大脳生理学とかそういった方面からは、モニターで受け取る文字情報と、紙を見て受け取る文字情報では、紙の方が圧倒的に吸収率が良い、等と言う意見は聞いていた。

しかし、背に腹は代えられない、これ以上本が増えれば、寝る場所が無くなってしまう。

それから7年ほど経つだろうか。

電子書籍
紙の本は、どこまで読んで残りがどれくらいかということが読みながら解るのに対して、電子書籍は今自分が読んでいるページが全体のどれくらいのところまで来ているのか?判らない。

勿論、ボタンをクリックすれば画面上は解る様になっているのだが。

電子書籍リーダー
もう1つ、人間は1冊の本を読み終わって、次の本を読むわけではない。

常に複数の本を並行して読んでいるはずだ。

電子書籍の場合「あ~!こんな本買って5ページ読んだだけで、全く忘れていた!」ということが往々にしてある。

紙の書籍の場合、積ん読書等と言って、書斎の本棚に読んでない本があって、

「おい、こら!いつになったらおいらを読むんだよ❕」

と無言の恫喝を感じながら

「すいません、明日から読ませて頂きます!」

といって、ある種の罪悪感を感じながら、いつかはその本を読むようになる。

IT教育
タブレットに色々な情報を収納する,IT教育、まあ、教科書なんかはゴミみたいなものなのでタブレットの収納フォルダに永遠ににブチ込んどけばいいんだが…

ITUNES.png
音楽にしても「1万曲をポケットに❕」はあ~?いらねえよ、聞かねえし。ある時期聞きたい曲ってMD5枚分くらいじゃないの?MD.png
僕はitunes全然いいと思いません。MD生産再開しろよ、SONY❕

電通またまた違法サービス残業事件!!~もう会社いらないだろ~

電通で2015年新入社員だった高橋まつりさんが違法残業と、パワハラやセクハラで社員寮から飛び降り自殺してから4年、

またまた電通は去年、社員4人に対して労働組合との取り決めを超えた長時間の残業をさせ、労働基準法などに違反したとして、

ことし9月、三田労働基準監督署から是正勧告を受けた。

というのが、今年12月初旬のニュースです。

高橋まつりさんの尊い犠牲のおかげで、「働き方改革」なるものが世間を跋扈し、それによって日本の企業風土に多少の変化が現れたのも事実です。

でもね、やっぱね。ブラック企業


電通=ブラック企業、というイメージが張り付いたのは高橋さん事件以後ですが、実際に電通は過去に何十人もの社員(特に新入社員)の命を超過労働や、パワハラ、セクハラで奪ってきているのです。

1991年の電通事件が最高裁まで争われて2000年に最高裁は1億6800万円の支払いを電通に命じて結審している。

この裁判の中で、自殺した社員は酒席で、上司の靴の中に注がれた酒を飲まされることを強要された、と事実認定がされている。

30年間何一つ変わらない企業体質、しかし、大学生就職ランキングで常に上位に来る電通。就職ランキング


広告代理店の中でも特に電通、博報堂は、「仕事が面白い、女にもてる、クリエイティブな仕事ができる、芸能人と友達になれる、・・・・」意味不明の実態のない評判で人気企業です。

でも、真面目に電通の企業研究をすれば、こうした企業体質もわかるハズなんだけど、新聞読んでないんだね。

そういえば、俺の大学の同期で電通狙ってた奴ら間違いなく何も考えてない奴らだったな。

入った奴らは、まあ~ん~、チャラい!

ていうか、広告代理店て、いるか?

これからの社会で。

もうテレビやラジオ、新聞、雑誌といった古いメディアの広告枠を抑えておかなければ仕事ができない電通ですが、古い、メディア媒体はどれも斜陽産業、

朝日新聞200人の希望退職者募集!

テレビが完全になくなり、みんな、Youtubeしか見なくなるとは思わないが。

何のために広報部とか広告宣伝部ってあるの?

そこでCM作ってネットで流せば安上がりだよ。

たまには綾瀬はるかの資生堂のCMテレビで見たい時もあるけどさ。

就活生の諸君に問う!あなたが今目指してる企業、これから社会で必要とされていますか?

※教師?ああ、一番必要ない!

でもこのネタは違う回で。

明智惟任日向守光秀

麒麟がくる
令和2年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、長谷川博己さん演じる「明智光秀」が主人公ということになっています。

日本史の中で、小説、ドラマの中であまりにも有名になってしまい、実像が不明な人物が何人かいます。

その中でも幕末の坂本龍馬と戦国の明智光秀は別格ですね。

坂本龍馬の場合、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』が余りにも売れすぎて、そして三流歴史学者が書く専門書よりも、遥かに幕末の土佐藩の事情から、勝海舟、松平春嶽、桂小五郎、高杉晋作、西郷吉之助と言った人物の描写が丹念な一次資料を基に描かれているため、大学教授が研究対象として手を出しにくくなった、という事情があります。 
本能寺の変
明智光秀はやはり、本能寺の変の動機が判らないまま死んでしまったので、実像がつかみにくいのでしょう。

出自が定かでないという点では滝川一益なども元々何をやっていたか定かではありません。

光秀の生年には①1516年生まれ説と②1528年説の2説があります。

流浪の光秀が信長に仕えたのが1568年、①説だと52歳、②説でも40歳、そしてそれからたった3年後の1571年、近江坂本城5万石の城持ち大名になっています。

知っての通り信長は仕来りに捉われず能力あるものを抜擢していきましたが、それにしてもこの出世は異常な速さです。

1580年に丹波一国(約29万石)を加増されて合計34万石を領する様になります。

「丹波の国での光秀の働きは天下の面目を施した」と信長は光秀を絶賛しています。

また丹波一国拝領と同時に丹後国の細川藤孝、大和国の筒井順慶等の近畿地方の織田大名が光秀の寄騎として配下に入ります。

これにより光秀の支配地域は丹波、近江から山陰へ約240万石になり、光秀の軍勢は畿内の配下武将により構成されていたため一種の畿内方面軍総司令官という立場に立ったとも言えます。

文書には光秀のことを「近畿管領」と呼ぶ公家もいたようです。

織田家は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益の五軍団長によって信長に割り当てられた各方面の領土拡大を行っていく、というのが一般的な理解ですが、5人の中で光秀の軍事動員力は他の4人と別格に違うものでした。

では、何故、光秀の織田家中での出世はあまり知られていないのでしょうか?

それは、秀吉や家康により謀反人の優れた功績は後世に残すな、ということでしょう。

とにかく、1580年当時、信長が最も信頼していたのが光秀であり、秀吉は光秀に比べれば格段に落ちる地位にいたと思われます。

光秀が副社長なら秀吉はやっと平取締役程度でしょうか。

勝家や長秀は累代の織田家譜代なれば、専務、常務クラスの地位は与えられていたかもしれません。

そうすると、本能寺の変の理由も何となくわかりませんか?

あくまで私見ですが、240万石の動員可能兵力は7万2千人です。

後年、家康が秀吉により関東に国替えとなりますが、関ケ原合戦直前の徳川家領地が250万石です。

織田家家中でも信長以外で光秀に軍事的に対抗可能な組織的軍事力は存在しませんでした。

その信長が僅か数十名の供廻りを連れて、京都にいる。明智光秀(敵は本能寺にあり)
・・・・まあ、そういうことでしょう。

怨恨説、秀吉と家康にそそのかされた説、宮中が関与した説、まことしやかに流されていますが、まず前提として明智光秀の隔絶したしかも畿内に本拠を置く軍事力の存在を忘れて、色々歴史探偵ごっこしてもテレビ局に踊らされるだけです。

「何故、お前が私を殺そうとするのか?」
「そこに玉座があるからだ!」是非に及ばず
これが本能寺の変の真相!(かも知れませんよ)!

宗教改革は人間を解放した!?

ルター
倫理や世界史の授業でルター、カルヴァンの宗教改革が中世ヨーロッパの人間をキリスト教(=ローマ教皇庁)の支配から解放した!という説明がなされていますが、本当でしょうか?

ルネサンスが人間の本来持っている潜在能力をキリスト教世界観から解放しようとしたのは事実です。

しかし、所詮文芸運動であり、その文芸活動の資金の出所が教皇庁や、教会、修道院、神聖ローマ帝国内の各諸侯から出ていたとすると、その限界は最初から明らかだった、という話は授業でも聞いたでしょう。

「真の人間解放はルター・カルヴァンの宗教改革まで待たねばならなかった。」これも授業で言われてることなんですが、本当でしょうか?

あくまで、結果論ですが、宗教改革は個人の解放よりも国家の解放をもたらした。

というのが近年の学会の主流です。

もう少し細かく見ていきますと、ルターの宗教改革はルター派の諸侯vs神聖ローマ帝国(カトリック)による、シュマルカルデン戦争を引き起こします。シュマルカルデン戦争

約1年間の戦争でしたが、この講和条約が1555年に結ばれた、アウクスブルクの和議、です。

ここで決まったことは、ドイツの各諸侯がカトリックを信じるか、プロテスタントを信じるかは各諸侯の判断に任せる、ということです。

言い換えればそれまで宗教上はローマ教皇の支配と、世俗的には神聖ローマ皇帝の支配に服していたわけですが、聖俗二重の支配から解放されることになります。

そして各諸侯は官僚制と常備軍を整備することにより絶対王政の時代を経て、三十年戦争に突入していくのです。

国民はどうなったかって?

だから、国民は教皇や皇帝の支配からは解放されるけれども、諸侯や国王、自分の住んでいるところの御領主様の支配体制にもっと強固に組み込まれていくんですよ。アウクスブルクの和議
ウェストファリア体制を迎えるにあたって、宗教改革の果たした役割は大きいです。ウェストファリア体制
しかし、ヨーロッパの人間を自由にしたなどよ言う倫理や世界史の教科書の記述は間違いですので、注意しましょう。

ホント、教科書盲信しちゃダメヨ!

野ブタ。をプロデュース

野ブタ3人
 2005年の秋に放映された「野ブタ。をプロデュース」をDVDで観る。

亀梨和也・山下智久・堀北真希の3人が主演。

ストーリーについてはネットが詳しいのでそちらを参照してください。

亀梨・山下のW主演が話題なドラマであった。

そして、堀北真希の実力者女優としての扉を開いた出世作でもある。

堀北は典型的ないじめられっ子転校生としての特異なキャラクターを独特の演技力で乗り切った。堀北野ブタ
若手タレントではなく女優としての演技力が高く評価されたドラマでもあった。

全編を通して、ただの学園ドラマではなく、色々なことを考えさせてくれるドラマであるが、第2話に多少感動。

堀北真希の制服にペイントで「ブス」といたずら書きがされ、制服での登校が難しくなる。

亀梨と山下はそれを逆手に取り、私服通学を認めさせ、堀北に髪を切らせ、イケてるファッションブランドをコーディネートし、堀北のイメチェンをこの機に乗じて一気に図ろうとする。

あまりの堀北の変わり様に、クラスメートは自分達にも私服登校を認めるよう学校側に要求するが、却下される。

すると、堀北1人に私服登校を認めるのはおかしいということになり、堀北も「ブス」とペイントされた制服で登校しようとする。

翌日「ブス」と書かれた制服を着た堀北の前を、亀梨は「キザ」、山下は「バカ」と書かれた制服で走って行った。

堀北=野ブタをプロデュースする以上、この落書きを流行に変えてやろうとしたのである。

学園全体に制服へのペイントが爆発的に流行していく。

自分の目の前を親友2人が自分でペイントした制服で登校したのを見た時の小谷=堀北の気持ちはいかばかりの物であっただろうか?

自分だったら、感激して泣いてしまうだろう、そして何があっても2人との友情を至高の物として考えていくだろう。

ドラマ全編を通じて、現代の高校生の表層的な人間関係を批判しているが、徐々に、主人公達だけでなく、クラス全員がそれぞれに成長していく姿を描いている。

個人的には堀北真希と山下智久のコンビは2006年の春クールのドラマ「クロサギ」でも共演し、大変面白く観た。クロサギ
因みに山下は2005年の夏クールで「ドラゴン桜」でも主演しており、当時は俳優として引っ張りダコな時期だった。
ドラゴン桜
友情、人生、何に人生をかけるのか、そうしたことを再度考えさせてくれるドラマだった。

自動車免許

私が勤めている高校では進路が決定している3年生は今日から教習所に通うことが許可されている。

私が毎年生徒達に言っているのはマニュアルの免許を取れ、ということだ。

今年の4月、池袋で元通産官僚の87歳の男性が運転する車が暴走し、母娘2名が死亡する事故があった。

暴走の原因はアクセルとブレーキの踏み間違いということになっている。

この事件だけでなく、アクセルとブレーキの踏み間違いで死亡事故を含め何件の事故が今年だけでも起きただろうか。高齢ドライバー
この事件の直後から、高齢ドライバーの運転免許自主返納の動きが強くなったが、問題はそこではない。

18歳の若葉マークのドライバーも45歳のおばちゃんも同様の事故を起こしているからだ。

根本的にはオートマ車の構造に問題がある。

マニュアル車ではアクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違えたら、車はエンジンストールで止まってしまうのである。

オートマ車とマニュアル車でどちらが事故が多いのかと言えば、圧倒的にオートマ車が多い。率としてである。

昭和50年代にオートマ車とマニュアル車がほぼ同数走っていた頃では事故の絶対数としてオートマ車の方が事故が多かった。

オートマ車の運転は楽だ。だからながらスマホをしてしまう。

自分がRX7に乗っていた時は、絶対に携帯は触らなかった。FD3S.jpg
というより、FDの様なミッション・スポーツカーでは、右足でアクセル・ブレーキペダルを、左足でクラッチペダルを踏む。

基本両手でステアリングを握るが、左手でシフトノブを操作する。

左手が動く時は必ず左足も動く。

目は前方視界、左右のサイドミラー、バックミラー、スピードメーター、タコメーター、最低でも6つの物から情報を得て両手両足に指示を伝える。

緊張感はオートマとは段違いなのだ。

だから運転に集中し、緊張もするので、なかなか事故は起きないのだ。

2000年代に入り、プリウス、アクアといったハイブリットカーが自動車市場での販売シェアを伸ばしてきた。アクア
ハイブリットカーでは駆動システムの構造上、オートマチックトランスミッションが主流になる。

しかし、このオートマ・ハイブリットカーが殺人自動車として歩行者を殺しまくっているのだ。

運転手の人生も全てが失われる。

まして、高速道路での自動運転車?

あの世へのハイウェーですか?

メーカーも良いマニュアル車を作って欲しいものである。

中森明菜vsAKB&乃木坂

中森明菜
特に中森明菜のファンという訳ではない。

昔、テレビでマツコ・デラックスが、AKBの神7が卒業して、ソロでアイドル歌手としてやっていくと言っても、中森明菜や松田聖子のレベルに追いつくことは不可能だと気炎を吐いていた。

今から考えればAKBグループを卒業して、ピンで女優やタレントとして何とかやっていけてる人はいても、歌手として活躍している人は1人もいない。

そういう意味では中森明菜や松田聖子を引き合いに出すことじたい、議論にならない。
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大島優子が女優としてそこそこ活躍しているだけで、前田敦子、篠田麻里子、板野友美、渡辺麻友…誰も芸能人として活躍しているとはお世辞にも言えない。

マツコさんが言っていたのは、中森明菜が10代でミ・アモーレや北ウイング、飾りじゃないのよ涙はetc、ヒット曲と言うだけでなく、歌唱力としてもずば抜けたものがあった。

アイドル歌手という括りにできない歌謡界における存在感が圧倒的であった、ということなのだろう。

確かに松田聖子もデビュー当初はライブだと、結構下手な歌を歌っていたように思う。しかし、ある段階から、中森明菜と双璧と言われるほどの歌唱力を持つようになった。

明菜や聖子ほどの歌唱力を身に付けるには、10代半ばから徹底した歌のレッスンを積まなければならない。

AKBグループの人達にはそこまでうたのレッスンを積む時間がない。

ある程度可愛い子を集めて、バラエティー番組に数多く出演させ、人気を取っていく。

その先に中森明菜の様に歌えるようにプログラムされているとは思えない。

別にAKBを目の仇にする気はない。

今、女性歌手としてやっていけてる歌手って誰だ?
miwa.jpg
MIWA、西野カナ、中島美嘉・・・


因みに私は高校時代菊池桃子さんのファンでしたが、桃子ちゃんとmiwaを比べれば比較にならないほどmiwaや西野カナの方が歌は上手いですよ。

ただ、中森明菜と松田聖子に比べると見劣りすると感じるのは世代間格差なのでしょうか? 

帷幄上奏権

大学受験の日本史の問題で、「統帥権の独立」についてよく問われます。

近代日本の政軍関係の核心なのですが、今日授業で説明した「帷幄上奏権」についての出題が、東大、一橋、慶応であります。

問題なのは、この設問に対する解答、解説が予備校や講師ごとにまちまちなところがあるのです。

それが、「帷幄上奏権」です。

帷幄上奏権とは統帥部の長たる軍人が内閣等の国家機関にはばかることなく軍令事項について直接天皇に上奏できる権限のことを指します。

正当な解釈としては帷幄上奏権は陸軍参謀総長と海軍軍令部総長にのみ認められるとされていますが、予備校の模範解答・解説の中には「陸軍大臣・海軍大臣も帷幄上奏権を持っており…」という説明が少なからず散見されます。

陸軍大臣・海軍大臣は内閣を構成する国務大臣であり、「軍部大臣現役武官制」と言うものがあったにせよ、総理大臣を無視して天皇に上奏することは慣例として許されません。二個師団増設問題
ここで、上原勇作という人物がキーパーソンになります。

上原は、1912年(明治45年)、第2次西園寺内閣の陸軍大臣に就任すると、朝鮮半島に2個師団の増設を内閣に要求。

西園寺が緊縮財政を理由にこれを拒否すると、「帷幄上奏権」を行使して陸相を辞任します。

陸軍は上原の後任者を出さず、軍部大臣現役武官制を利用して西園寺内閣を総辞職に追い込みました。

受験生は軍部大臣現役武官制、所謂陸軍のストにより、西園寺内閣を潰した点を重視し、「統帥権の独立」の最重要論点にしてしまいがちなのですが、問題になってくるのは上原は参謀総長ではなく陸軍大臣だったという点です。

やっている事がどうであれ、プロセスとして間違っていることを論点にすべきなのです。

上原が参謀総長として、天皇に2個師団増設を上奏したのであれば、制度上何の問題もありません。

陸軍大臣である上原が、内閣総理大臣である西園寺を飛び越え、天皇に直接上奏したことは、「帷幄上奏権」の濫用として近代日本の政治に大きな負の遺産となっていきます。

「帷幄上奏権」「軍部大臣現役武官制」「軍令系統・軍令事項」「軍政系統・軍政事項」こうした用語を自分なりに整理して図にしないと、難関大学の日本史は解けないでしょう。

頑張れ受験生❕

教育改革とは?

共通テスト騒動も一段落した今日この頃ですが…共通一次試験が導入されたのが1979年、40年経った。
センター試験

1979年以前は田舎の高校生が東大や早慶を受けたい場合、誰の許可を得るのかと言うと、担任だった。

長年の教師経験からして、こいつが東大に受かるかどうか、全国規模の模試が無かった時代、教員の職人芸的な神の声によって、自分の受験校が決定されていた。

共通一次が導入された後は、マークシート試験と三大予備校のデータリサーチを用いて全国の大学は序列化されていった。

教師の永年の経験ではなく、コンピュータが弾き出した絶対的な神の声によって受験校が決定されるようになった。

それは、悪いことではなく、余りにも実力のかけ離れた志望校に強襲特攻するということが無くなった、という点では良いことだった。

国公立大学を受験するチャンスは事実上1回のみである。

その1枚のカードをギャンブルに使う馬鹿はそう多くはない。

三大予備校の全国規模化とコンピューターオンラインシステムによって私立大学も序列化されていった。

これも1校の受験料が3万5千円であることを考えれば、「身の丈にあった」受験をすることは何ら非難されることではない。

でも、それでいいのか?

合格判定E判定の者が早稲田、慶応に一発逆転のトライを決めることは無いのか?

そう、この40年間の大学入試改革は合理化を追求した結果、受験から夢やロマンを追放してしまったのである。

そして学歴社会である日本のサラリーマン社会の中で
「あいつ、どこの大学だよ。」
「○○の経済だよ!」
「じゃあ、仕事できなくても部長になれるわけだ。」

という様な、チマチマした日本型サラリーマン人種を産んだ。
内定式

マックス・ウェーバー曰く「徹底した合理性の追求は、人間性を排除する。」
マックスウェーバー

でもね~、どんな入試制度になっても日本人て所詮こんなチマチマした動物だよ。