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荒ぶる

昨日のラグビー大学選手権、早稲田大学の優勝で終わったのだが、NHKの中継についてクレームがついた。

「何故、荒ぶる、を歌い終わるまで中継しないのか?」

相当多く、きついクレームだったらしい。

でも、一般の人にとって、『荒ぶる』って何?と思っているでしょうから、御説明します。

早稲田大学ラグビー部の部歌は『北風』という歌です。
早稲田北風

という歌を全試合、もしくは重要な試合=早慶戦、早明戦とか、基本ロッカーで歌ってからフィールドに選手は出ていきます。

『荒ぶる』というのはもともと第二部歌としてあったわけですが、昭和25年~30年頃のキャプテンが『荒ぶる』を勝利歌にしよう!

と提案し、認められました。
荒ぶる部歌

ただ勝つだけではなく、日本一になった時にだけ歌える歌になってしまいました。

日本一の定義は時代と共に曖昧なのですが、
関東大学ラグビーが対抗戦しかない時代は対抗戦で優勝した時、
日本選手権でまだ学生が強い時代は日本選手権優勝の時だけ、
現在は大学選手権で優勝した時、

つまり、大学No.1になった時にだけ歌える歌となりました。

それでも、10年に1回歌えるかどうか。

そして、大学選手権で優勝した時の4年生はレギュラーだろうと、5軍の補欠であろうと、その人の結婚式や亡くなった時の出棺の時などに、出席したラグビー部員が『荒ぶる』で慶びを、また弔意を表すことが出来るとされています。

例えば昨日活躍した1,2,3年生は優勝に貢献したけれども昨日の優勝では『荒ぶる』を得たわけではありません。

彼等が『荒ぶる』を得るには彼等が大学4年生の時に学生日本一にならないと歌えないのです。

10年ほど前、『荒ぶる』を早大学院のラグビー部員が調子に乗ってラジオで歌ってしまい、大問題になりました。

あくまで早稲田大学ラグビー部の中での大問題ですが。

付属高校とはいえ、早稲田ラグビー部の鉄の掟を破ったということで、歌った部員は部から除籍、進学も早稲田大学への進学は認められなかったそうです。

そこまでやる必要があるのか?

と我々は思うのですが、あそこまでの部活になると一種の宗教集団的な要素は出てきますからやむを得ないとも言えるでしょう。

清宮氏が、明治や慶応は日本一になって何を得たか?
清宮

と言うと、仲間との一体感とか、ONE TEAMの精神とか抽象的なものを得たということになるが、

早稲田は『荒ぶる』を得た!ということになる。
荒ぶるTシャツ

大学選手権の決勝に進んだ時に『北風』を歌った後、円陣を組み「『荒ぶる』歌うぞ!」といってフィールドに散っていくと、仰っていた。

早稲田ラグビー部関係者にとって、早稲田ラグビーファンにとって『荒ぶる』をテレビ中継で聴けるのは11年ぶりの事だったのだ。
荒ぶる早稲田

だから、何で『荒ぶる』中継しないんだ!

というエキセントリックなクレームが多数NHKに寄せられたわけです。

しかし、一般の人にとって、『荒ぶる』?何それ?ということになりますよね。

NHKの昨日の対応について皆さんはどう思いますか?
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新国立での早明戦!

大学ラグビー選手権決勝が新国立競技場で行われた。
大学選手権決勝

新国立で行われた最初の試合はサッカーの天皇杯決勝だったようだが、ラグビーの最初の杮落としは早明戦での決勝ということになった。
早明戦

この10年近く帝京、帝京、帝京・・・・で9年間、昨年は明治が優勝したが、久しぶりの早明での決勝、歴史に残る試合を期待したが、残念な結果だった。

前半終了時点で31-0、えっ!0って何よ!

ブルーレイ再生して見ていくと、重戦車のキャタピラの軋む音が聞こえる。
重戦車故障

これがかつて日本ラグビー界を恐れさせた明治重戦車FWの成れの果てとは…

北島監督も空で泣いているぜ。

後半は流石に意地を見せたが45-35、スコア上ではまあ、何とか形になったような試合だが、終わり方が最悪、

ラインアウトからのダブルノックオンでノーサイド・・・

早稲田のバックスが良かったともあまり印象に残らない、

ただただ、明治の不甲斐無さだけが残る試合だった。

ラグビーW杯で俄かラグビーファンが増えたが、伝統の早明戦でこんな試合やられては、ラグビー人気復活も遠そうだ。
雪の早明戦

トップリーグの方が技術は高いのにみんな見ない。

勿論去年よりは観客も多いようだが。

アメフトもラグビーも学生が頑張らないと面白くないな~!

富士通フロンティアーズ4連覇‼

1月3日、日本のアメリカンフットボウルNo.1の座を決定するライスボウルが東京ドームで行われた。
ライスボウル1

大方の予想通り38-14で富士通が4連覇を決めた。

試合内容についてはここで語らないが、私は関学の2TDを褒めたい。

実力的には完封されてもおかしくない実力差である。

1TDはともかく、第4Qでのタッチダウンは学生のプライドにかけての7点だったと思う。

これで11年間連続で社会人が勝っている。

物心ついてアメリカンフットボウルを見始めた頃は、京大、関学、日大という学生の3強が強く、特に京大の短い黄金時代が日本のアメフト界の人気の礎を作ったと言っても過言ではない。

一方、社会人であるが昔はレナウンローバーズの1強時代が続き、しかも、ライスボウルでは絶対に関学、日大、京大には勝てなかった。

ラグビーとは真逆の学生優位の時代が続いた。

変化が起き始めるのは1990年代である。

日本初のアメフトクラブチーム「アサヒビールシルバースター」が創設され、京大から東海が加入、また、オンワードがアメフトチームに力を注ぎ、シルバースター、オンワードの社会人2強時代が出現する。

90年代から2005年までは学生と社会人の力が拮抗していた時代であった。

その後の15年間学生は立命館の1勝だけで、14回社会人チームが日本一を獲得している。

そして、2010年以降はオービックシーガルズと富士通フロンティアーズが10回の優勝を誇るという状況になってしまった。
ライスボウル2

最近のライスボウルは社会人と学生のレベルの違いが目立つようになり、かつてのラグビーと同じようにライスボウルの在り方に変更が迫られている。

今、日本のアメフトで一番面白い試合は社会人No.1決定戦であるXボウルである。

富士通やIBMには外国人選手が目立つようになり、そこで勝ったチームに学生チームが勝てるわけがない。

言ってみれば甲子園優勝校と日本シリーズ優勝チームが戦う様なもので結果はやる前からわかっているのである。

日本のアメフト界を衰退させないためにも1つのチーム=富士通がこの6年で5回出場し5回優勝という様な1強時代を作ってはいけない。
ライスボウル戦績

まず、XリーグでオービックやIBMが富士通を止めるようになってもらいたい。

その後で、日本選手権のやり方を議論しようではないか。

京大ギャングスターズ

京大ギャングスターズ
1日、間が空きましたが、アメフトの話。

日大フェニックスと関学ファイターズが東西の双璧として日本のアメフト界を引っ張っていた最中、1980年、彗星のように現れたのが京都大学ギャングスターズでした。

水野弥一が全くのガリ勉ド素人集団を日本一のチームに仕上げていく姿に、それまで一部のマニアしか知らなかった日本のアメリカンフットボウルに多くの人々が注目するようになりました。

何故かって?
それは京都大学だからですよ!
永遠に東大に追いつけないアンチ東大の一番手、西のNo.1大学=永遠の2番手。

だからこそ、京大ギャングスターズは人気を得たのです。

京大アメフト部の特徴は雑用は上級生が行う、ということです。

1年生=雑用係ではなく、上級生が雑用をやり、1年生は練習しろ!

それはド素人集団の戦闘力のアベレージを上げる最も合理的な練習方法でした。

そして、1986年東海辰弥という怪物をQBに据えたギャングスターズは、秋のリーグ戦全勝のまま関学戦を迎えます。

京大は35-7と関学を圧倒し優勝。

甲子園ボウルでは日大に快勝、ライスボウルでもレナウンに僅差で勝利して、日本一に輝く。

1987年、4回生となったQB東海を中心とした京大は再びリーグ戦を全勝優勝。

甲子園ボウルでは日大に、ライスボウルではレナウンに圧勝して2年連続の日本一。

2年連続のライスボウル制覇は史上初の快挙でした。

東海達の活躍で、アメリカンフットボールへの注目は飛躍的に向上し、水野監督や東海はスポーツマスコミ以外にも取り上げられ、この時がギャングスターズの黄金期でした。

2005年に部員による女子大生レイプ事件で京大ギャングスターズは終わったとみる人が多いのですが。

しかし、大学チームとしてライスボウル優勝4回は日大と同数であり、短期間に強烈な輝きを発した、まさに彗星の様なチームでした。

日大フェニックスと共に復活を切望するチームです。

日大フェニックスと名将篠竹幹夫

日大フェニックス
とはいっても、永らく日本のアメフト界を牽引してきたのは、日本大学フェニックスでしょう。

昨年は日大=アメフト悪質タックル問題でこれ以上なく評判を落としてしまいましたが、戦後の学生アメフト界を引っ張ってきた最大の功労者は1959年~2003年まで監督だった、名将、篠竹幹夫です。
 篠竹
44年間1人の人間が監督を続けることは稀で、明治ラグビー部の北島監督と並び称される名物監督です。

「学生ほど自分に尽くしてくれる人間はいない」として生涯独身を通しました。

犠牲、協同、闘争の理念の元、長時間に及ぶスパルタ指導や鉄拳制裁、寮での共同生活で選手の心技体を鍛え抜く指導法で知られ、入寮した新入生を前に日本刀を抜き、「お前らの命は俺が預かる」と言ったとか言わないとか・・・

と、ここまで書くと、やっぱ日大アメフト部は昔からそういう体質だったんじゃないか!と思う人がいるかもしれません。

しかし、篠竹監督と内田監督は似てるようでまるで違う監督です。

篠竹さんは学生が悪いことをしたら、その学生を殴りながら、自分自身も土下座して謝り、学生を守る人でした。

篠竹監督の時代だったら経緯はどうあれ、宮川選手1人が記者会見をするという様な事態にはならなかったでしょう。

選手にも厳しかったが己にも厳しかった人です。

いずれにしても、篠竹フェニックスは44年中17回の学生王座、ライスボウルでも3連覇を含む4回の日本一を獲得しています。

この頃のフェニックスはショットガンフォーメーションという、レシーバーを散弾銃の様に走らせ、QBがこれでもかというほどパス攻撃を繰り返す戦法でアメフトファンを魅了していきました。

アメフトファンとしては日大フェニックスの名前通りの復活を期待しています。