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新田義貞と脇屋義介

ここで足利尊氏のライバル新田義貞について述べたいと思います。
尊氏と義貞

源義家の系譜を引き、新田、足利両家共に清和源氏の血統ですが、

DNA的に世渡りが下手だったのか

新田氏は鎌倉時代後期には上野の貧乏御家人に転落していました。

血は名門であっても財力が無い、故に武家は新田を武家の棟梁とは認めなかったのです。

そういう意味では、今も昔も金が重要なんですね。
金が全て

金が欲しいんじゃない、やりがいのある仕事をしたいんだ!

なんてこと言ってると、やりがいのある仕事に就けなくなるもんだったり…

Anyway,新田義貞、尊氏のライバルということになっていますが、

太平記の中では猪武者の愚将としてこき下ろされています。

スクラム戦では強いけど、バックスの展開が全くダメなラグビーチーム、

それが新田義貞です。

ただ、鎌倉攻めの折、稲村ケ崎の侵入ルートを見つけた戦略的着眼点は素晴らしいと思うのですが。
鎌倉攻め

逆に足利軍を西国に追い詰めるべき時に、

播磨の赤松円心の立て籠もる白旗城に拘り、

尊氏復活の時間を作ってしまった点は、いかにも愚将ですね。

また、尊氏に直義という優れた弟がいたのと対比されるのが脇屋義助という弟です。
脇屋義助

これが兄貴に輪をかけたような凡将で、やはり天下の覇権を握る男には優れた兄弟がいるものですね。

例えば秀吉と秀長のように。

そういう意味では太平記の中で新田義貞の立ち位置はダサダサです。

私は大学時代伊香保温泉に彼女と泊まりに行った時、寝言で
「俺、新田義貞と話してきたよ。」
「で何て言ったの?」
{アホ!」
と言って寝たということを翌朝彼女から朝食の時、聞かされました。

自分の記憶には無いんですが、

フィクションの部分を差し引いても

「アホ!」

だったんでしょうね。
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足利尊氏の魅力

尊氏は鎌倉の浄光明寺に剃髪して籠ってしまいます。
尊氏謹慎

余程、後醍醐天皇から逆賊呼ばわりされたのがショックだったのでしょう。

大将不在のまま、足利軍は直義を総大将にして新田勢を三島口で迎え撃ちますが、惨敗。

これは前回の中先代の乱と異なりまして直義も師直も本気、だけど新田義貞は強かったということです。
新田義貞

足利一門でない武家は続々新田側に寝返ります。

ここで1通の手紙が現れます。

「足利尊氏が寺で謹慎していようとも、逆賊として必ず、尊氏、直義両名の首を挙げ、足利一門を根絶やしにせよ!」
と、後醍醐帝が言っているという手紙です。

実はこの手紙、佐々木判官か高師直か、直義の誰かが創作したものとされていますが、

この手紙を見た尊氏は

「一門の存亡がかかっているなら是非も無し!」

として寺を出て出陣の命を下します。
足利尊氏

すると、それまで関東各地に散らばっていた武家が鎌倉にぞろぞろ集結します。

これが源氏の棟梁としてのブランド効果なのか?

良く解りませんけど、尊氏本隊は箱根で直義、師直以下の足利勢と合流、箱根雪の下で新田勢を散々に破ります。

新田勢は東海道をただ敗走することになります。
尊氏経路

尊氏の魅力、①一旦立つと周りの武家が集まってくる。
②そして、必ず戦に勝つ。

日本史の中の軍事戦略家として、足利尊氏は傑出した存在かと言うと、そうとは思えないんですが…
尊氏大将

でも彼が先頭に立つと、周囲がやる気になるんですね。

それが尊氏の大将肌としての人間的魅力の様に思えます。

足利尊氏は躁うつ病⁈

尊氏の行動の一貫性の無さです。

北条の幕府を潰したのは良いとして、護良親王を潰したのもいいでしょう(ただし、これは弟直義と高師直がやったことですけど)。
護良親王出陣図

中先代の乱に際して、後醍醐天皇の許しなく畿内の武家を糾合し、鎌倉へ出陣する行動力、決断力は見事です。
中先代の乱

また、この時、鎌倉を守っていた弟直義は手持ちの足利家の戦力で北条時行の軍を破ることは出来たと思います。

しかし、わざと負けたふりして三河へ逃げてきた。

北方謙三の『破軍の星』に次のように書いてあります。
破軍の星

「兄、尊氏の中にある抜きがたい尊王思想、そして後醍醐帝の前に出ると、いつもの兄が消えてしまう。
あの帝から兄を離さねば我らの宿願、足利の幕府は創れない。
そのために、兄、尊氏を今日から引っ張り出さねばならない。」

理屈の上では建武の新政を壊さなければならない。

心情としては後醍醐天皇が好き。

この性格分裂状況を北方はよく表していると思います。
躁うつ病

北条の残党を蹴散らして鎌倉を奪還するところまでは予定通りでしたが、
中先代の乱Ⅱ

新田義貞との確執から弟直義が預かっていた護良親王を
新田義貞

鎌倉陥落のどさくさに紛れて殺害したのが後醍醐帝の耳に入ったのがまずかった。
後醍醐天皇

歴史学ではこの時点で建武政権の崩壊という捉え方をします。

尊氏討ての勅命が下っているわけですから
尊氏仏門に

武家の棟梁として戦うしか他に道はないはずなんですが…・

室町幕府とは?

3つの幕府のうち、畿内に開かれた幕府が唯一室町幕府である。

何故、尊氏は京都に幕府を開いたのか?
尊氏

大河ドラマ「太平記」の中で真田広之演じる尊氏が陣内孝則演じる佐々木判官に語るシーンがある。
佐々木判官

「もはや鎌倉におり、東国のみを見ておってはダメじゃ。
西国には楠木殿の様なこれまでとは違う武士もいる。
商人もいる。そして朝廷と帝がおわす。
西国の物資が余多溢れておるのじゃ。
北条殿の様に鎌倉から西国をおさめようとするのは無理だった。」

このセリフに室町幕府の施政方針が含まれているように思います。

鎌倉時代後期、貨幣経済は西国を中心に発展します。

それへの対応を誤った鎌倉幕府の轍は踏まない。

そのためには御家人だけでなく、悪党と言われる新興武士勢力を味方に加え、
貨幣経済の膨張にしっかりと耐えられる武家政権を創りたい。

これが尊氏の想いだったのではないでしょうか?

そして執事である高師直に新興武士団を糾合する役目を任せたのでしょう。
師直

一方で、足利一門や鎌倉幕府以来の名門御家人は弟の直義に任せる。
直義

この2人役割分担が初期足利幕府の政権の軋みとなっていき、

観応の擾乱に繋がっていきました。

尊氏を主人公にした小説

まず、足利尊氏を主人公にした歴史小説が無い。

司馬遼太郎もこの時代は避けたようだ。
司馬遼太郎

杉本苑子氏の「風の群像」という小説があるが、尊氏の人生全てを描くには少ないページ数だ。
杉本苑子

吉川英治の「私本 太平記」が日本で最もよく読まれている尊氏に関する小説であろう。
吉川英治

NHKの大河ドラマも吉川太平記を原作としている。

ただ、吉川英治は三国志にせよ、宮本武蔵にせよ、要するに古い歴史エンターテイナーであり、尊氏とその時代環境を忠実に再現しながら読者を魅了するような小説が少ないのである。

尊氏に関して、
①何故鎌倉幕府を倒したのか?
これは、行動の評価として裏切り者の評価を免れないことは確実であり、建武政権から離反するよりも尊氏のイメージを決定づけていると言える。
鎌倉幕府最大の御家人であったのに、なぜ裏切ったのか、明確な解答は出ない。

②何故、建武政権から離脱したのか?

これは、後醍醐天皇の政権運営に先が無いことが解ったからであるが、離脱しながらも、終生後醍醐天皇を慕い続けた。
北朝の公家や尊氏方の武家が尋常ならざる想い、というほどの後醍醐ファンだったのである。

③弟直義、執事師直との関係は何故、観応の擾乱に進んだか?

以上3点が私の気になる尊氏の魅力である。